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2014.07.06 23:20

マレ地区の保存と景観

フランスの景観保全に関する整備は1913年歴史的建造物の保存が制度化されたことに始る。
1930年には景勝地の保全が始まり、その後歴史的建造物の周囲500mの景観保全制度
(1943年)が施行されるなど、変化を繰り返し積み上げられてきた。
マレ地区が保全地区に指定されたマルロー法は、1962年にノーベル文化賞を受賞した当時
の文化大臣アンドレ・マルローが作成したもので、
「歴史的建造物の周辺にある伝統建物を修復することにより、歴史的建造物にふさわしい
街並みを再生させる」という意図でした。
面としての再生を目指した理念はフランスのまちづくりの基礎となった。

シテ島の北に位置するこの地区は16世紀~17世紀にかけて貴族の居住地として発展し
立派な館が建てられていた。
しかし、フランス革命(1789年勃発)によりルイ16世やマリーアントワネットがギロチン
で処刑され、このとき多くの貴族も処刑された。
この土地から逃れる貴族もいてその後衰退していった。
貴族の館には手工業者が移り住み経済の中心地となるが、景観は大きく損なわれていった。
19世紀末からユダヤ人が多く住んでいたが第二次世界大戦のときフランスが
ナチス・ドイツに占領され、マレ地区のユダヤ人も収容所への強制送還の対象になるなど
歴史に翻弄された地域である。
それだけに、パリ市民のこの地区に掛ける思いが指定へとつながった。

マレ地区は1964年に保全地区に指定され、行政の支援を受け市街の復元のため大規模な
工事が行われた。
かつての貴族の館を買い取り美術館に。そぐわない建物の取り壊しにより住民の入れ替えが
起こり貧しい借家人は転居を余儀なくされた。
インフラも整備され、現在は中世の建物を活かした美術館、おしゃれなブティック、
カフェ、レストラン、細い路地、など魅力的な街区となり人で溢れている。
新しいパリのスポットとして蘇った。
日本は高度成長が続き古いものを壊し新しいものにまい進しようとしている時、パリでは
歴史的建造物の保存活用による町づくりが始まっていたことになる。
世界で一番美しい町になるための手立てが大胆におこなわれていた。

マレ地区を歩く
ポンピドゥーセンターを目指してオペラ座通りから東に入りマレ地区を歩く。
オペラ座通りと違い柔らかい雰囲気が漂う。
通りの広さもちょうど良い。人間的なスケールで町歩きが楽しめる。
ショーウィンドーはどれも写真に納めたくなるほど素敵だ。
この街区にあるポンピドゥーセンター(国立近代美術館)が出来て36年になる。
レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースが設計し、1977年開館。
36年前の建造で当時はパリに建ったことで話題が沸騰した。
古い街並みを歩いてたどり着くとそのことも理解できる。しかし、違和感がない。
質の高い多様な要素が交りあっているところが町歩きの楽しさを倍増する。
先に書いたような長い歴史が背景にあることがこの地区の魅力につながる。




 

   
    

この周辺では駅舎を含む大プロジェクトが進行していて工事中(レ・アール再開発)。
16世紀に100年かけて完成したサントゥスタシュ教会を取り込むような計画だ。
工事の進行が分るように見物台を設置しインフォメーションも丁寧にされていた。
何回かのコンペを経てフランス人建築家パトリック・ベルジェの計画に決定した。
かなり広範囲の開発で、2012年完成を目指していたがまだ半分といったところだ。
古い教会、おしゃれな街並みにどのように入り込むのか楽しみだ。


完成予想図
 
工事中の仮設建物
   
昔の中央市場の写真                      現場が見える物見台から


ポンピドゥーセンター

ポンピドゥーからはフラン・ブルジョワ通りを歩く。観光客がいっぱいだ。
ピカソ美術館に行こうとして迷ってしまい狭い街路を行ったり来たり、
たどり着いたら改修中で閉館。同じ境遇の人も居てお互いに苦笑い。
セーヌに向かって歩き出すと古い館が通りに面して残っていて、ホテルやレストラン
として使われている。



美術館の中庭 カフェテラス
 
  
ホテルとして使われている古い館
 
セーヌ河に続く街路