EI ブログ



2016.06.06 09:58

ビルバオに行く !



 バルセロナに来て3日目の朝、サンツ駅からビルバオに向う。(2016年1月22日)
1月のバルセロナの夜明けは8:00。7:30分の電車に乗る為にホテルからタクシーに乗る。外は暗く人気はない。15分くらいで着いた。駅にはたくさんの人がいて木曜日の朝の通勤時間なのか賑わっていた。切符はネットで購入済みなので朝食を売店で買ってから改札に。
 スペインの国鉄レンフェの高速鉄道ALBIA00434。6時間34分でビルバオまで行く。この便は一日2便でビルバオまで直通である。バルセロナを出るまで夜は明けなかった。10の駅に停車しながらエブロ川に沿って走る。
外が明るくなると一面が岩肌でなだらかな地形ではあるが大小の山を持つ日本では見られない風景が広がった。ずーつと向こうにはピレネー山脈が雪を頂いている。農業地帯が続く。ビルバオに近いHaroはワインの産地で6月にはワインのかけあいをする世界的なお祭りがあり有名らしい。ワイン畑が幾重にも重なり広大な大地を埋め尽くしていた。車窓からの眺めは飽きることがない。

     

 6時間余りはすぐに過ぎて待ちわびていたビルバオが近づいてきた。ビルバオ駅近くは古い街並みが残る地域でその入り口のホテルに泊まることになっていた。
ビルバオといえば建築関係の人はフランク・ゲーリーの設計したグッケンハイム美術館を挙げるだろう。私もこの建物に会うことが長年の希望だった。また、バスク地方という豊かな文化や民族性にも興味があった。


ビルバオ駅構内
    
駅のファサード    

ビルバオはスペインのバスク地方の都市で大西洋に面している。バスク州ビスカヤ県の県都。人口は約40万人。14世紀に作られた古い都市である。周辺地域に鉄鋼が発見され産業革命を経て急速に発展した。しかし公害問題などが起り世界恐慌などに直面。結果、失業率が30%を超え人口も減少した。それに加え、1983年、ビルバオを縦断するネルピオン川の大洪水により未曾有の危機に直面し、大きな決断に迫られた。1987年から鉄鋼業依存のまちづくりから大きく方向転換し都市機能の整備を行った。
 シーザー・ペリに再生のプランの作成を委ねた。路面電車の整備、橋の新設と整備、公共施設の建設と整備、など多くの事が実行された。その中にグッケンハイム美術館の誘致も含まれる。1997年に開館しチタニウム板のうねる躍動的な特徴のあるデザインは大きな話題を呼び1年間に100万人を超える来場者が訪れる観光スポットとなった。
美術館の事業によって相乗効果が生まれ、州政府は3年間で投資額を回収したといわれている。

   







ビルバオを歩く内にグッケンハイム美術館だけが人々を寄せ付ける要素ではないことに気付く。古い町と新しい町が共存していて気品のある美し町だからである。
ビルバオはグッケンハイム美術館を誘致することによってアートで都市の価値創造に成功した。しかしビルバオ都市計画の一部に過ぎない。大規模な都市基盤整理。都市開発を行い歴史的なものと新しいものを融合し魅力ある街を今も作り続けている。住む人にも美しい町並みへの誇りを感じることが出来た。バルの食べ物も美味しいし、人も優しくて、全てに魅了される町でした。

写真を通してビルバオのあふれる魅力をお伝えします。

有名な建築家の建物
有名建築家による建物が町の中に多く点在する。どの建物も目を引く。その中の一部を紹介。  これもこの町の持てる証だ。


磯崎新設計のオフィスと集合住宅とすぐ近くのズビズリ橋(サンティアゴ・カラトラバ設計)


イベルドローラビル (シーザー・ペリ設計)奥の建物  町のあちこちから姿を現す。


地下鉄駅エントランス (ノーマン・フォースター設計) 地下鉄はネルピオン川の両側を走る

       
新しい建物と再生された古い建物が落ち着いた街並みを創りだしている。


ビスカヤ橋


ネルビオン川に架かっている世界最古の運搬橋。ビスケー湾に面した河口付近に架かる。ゴンドラで人や車を運搬する。あっという間に向こう岸に着いた。対岸の家並みが色とりどりで美しい。川の少し先は大西洋だ! 遠くまで来たなーと思う。小雨模様でしっとりとしていた。橋までは行きは地下鉄で帰りは電車でホテルに戻る。





      
                                 ロープで吊られているゴンドラが見える!


旧市街地



     
細い路地が交差する



     

     
夜はバルが賑わい 店の外のテーブルで語り合う 一階はお店で2階からは住居。



ビルバオの中心にあるモジュア広場 

夜景

旧市街の入り口の広場  バス乗り場

                
               新市街の通りにはおしゃれなお店が並ぶ

    

         ビルバオの地図        右上駅の東が旧市街
2014.07.06 23:20

マレ地区の保存と景観

フランスの景観保全に関する整備は1913年歴史的建造物の保存が制度化されたことに始る。
1930年には景勝地の保全が始まり、その後歴史的建造物の周囲500mの景観保全制度
(1943年)が施行されるなど、変化を繰り返し積み上げられてきた。
マレ地区が保全地区に指定されたマルロー法は、1962年にノーベル文化賞を受賞した当時
の文化大臣アンドレ・マルローが作成したもので、
「歴史的建造物の周辺にある伝統建物を修復することにより、歴史的建造物にふさわしい
街並みを再生させる」という意図でした。
面としての再生を目指した理念はフランスのまちづくりの基礎となった。

シテ島の北に位置するこの地区は16世紀~17世紀にかけて貴族の居住地として発展し
立派な館が建てられていた。
しかし、フランス革命(1789年勃発)によりルイ16世やマリーアントワネットがギロチン
で処刑され、このとき多くの貴族も処刑された。
この土地から逃れる貴族もいてその後衰退していった。
貴族の館には手工業者が移り住み経済の中心地となるが、景観は大きく損なわれていった。
19世紀末からユダヤ人が多く住んでいたが第二次世界大戦のときフランスが
ナチス・ドイツに占領され、マレ地区のユダヤ人も収容所への強制送還の対象になるなど
歴史に翻弄された地域である。
それだけに、パリ市民のこの地区に掛ける思いが指定へとつながった。

マレ地区は1964年に保全地区に指定され、行政の支援を受け市街の復元のため大規模な
工事が行われた。
かつての貴族の館を買い取り美術館に。そぐわない建物の取り壊しにより住民の入れ替えが
起こり貧しい借家人は転居を余儀なくされた。
インフラも整備され、現在は中世の建物を活かした美術館、おしゃれなブティック、
カフェ、レストラン、細い路地、など魅力的な街区となり人で溢れている。
新しいパリのスポットとして蘇った。
日本は高度成長が続き古いものを壊し新しいものにまい進しようとしている時、パリでは
歴史的建造物の保存活用による町づくりが始まっていたことになる。
世界で一番美しい町になるための手立てが大胆におこなわれていた。

マレ地区を歩く
ポンピドゥーセンターを目指してオペラ座通りから東に入りマレ地区を歩く。
オペラ座通りと違い柔らかい雰囲気が漂う。
通りの広さもちょうど良い。人間的なスケールで町歩きが楽しめる。
ショーウィンドーはどれも写真に納めたくなるほど素敵だ。
この街区にあるポンピドゥーセンター(国立近代美術館)が出来て36年になる。
レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースが設計し、1977年開館。
36年前の建造で当時はパリに建ったことで話題が沸騰した。
古い街並みを歩いてたどり着くとそのことも理解できる。しかし、違和感がない。
質の高い多様な要素が交りあっているところが町歩きの楽しさを倍増する。
先に書いたような長い歴史が背景にあることがこの地区の魅力につながる。




 

   
    

この周辺では駅舎を含む大プロジェクトが進行していて工事中(レ・アール再開発)。
16世紀に100年かけて完成したサントゥスタシュ教会を取り込むような計画だ。
工事の進行が分るように見物台を設置しインフォメーションも丁寧にされていた。
何回かのコンペを経てフランス人建築家パトリック・ベルジェの計画に決定した。
かなり広範囲の開発で、2012年完成を目指していたがまだ半分といったところだ。
古い教会、おしゃれな街並みにどのように入り込むのか楽しみだ。


完成予想図
 
工事中の仮設建物
   
昔の中央市場の写真                      現場が見える物見台から


ポンピドゥーセンター

ポンピドゥーからはフラン・ブルジョワ通りを歩く。観光客がいっぱいだ。
ピカソ美術館に行こうとして迷ってしまい狭い街路を行ったり来たり、
たどり着いたら改修中で閉館。同じ境遇の人も居てお互いに苦笑い。
セーヌに向かって歩き出すと古い館が通りに面して残っていて、ホテルやレストラン
として使われている。



美術館の中庭 カフェテラス
 
  
ホテルとして使われている古い館
 
セーヌ河に続く街路


2014.06.01 14:41

6月のパリ  

6月の爽やかな風 揃った建物のライン、その上の青い空。
日の入りが夜の9時過ぎで暗くなるのは10時頃。長い一日。
動いているパリは、活気に満ちている。
観光客なのかパリの人なのかとにかくみんな楽しそう。
いつまでも歩いていたい気分に。

      
アレキサンドル3世橋  向こうはグラン・パレ

      
パリジェンヌ  モデルさんに遭遇                  セーヌのほとりで


パリジェンヌとバス                         パリのチビッコ


街角


パリの屋根  ズーット向こうに新凱旋門が(グランド・アルシュ)

 
愛の南京錠                             オペラ座通り ルーブルの屋根が見えます


カフェ レストラン

2014.03.05 22:45

豆雛ギャラリー  3月15日まで開催 三重県津市



 





 昨年、再生の仕事をやらせていただいた上杉家は伊勢街道沿いに建つ築80年の昭和初期の建物で、
三重の民家の形態を良く残しています。
ご夫婦は長年小さなお雛さんを集めておられて、2月~3月半ばまで自邸の部屋に集めた
お雛さんを飾り開放している。
毎年全国のお雛祭りを訪れ、各地の小さく可愛い様々な素材のお雛さんを収集し、
棚なども骨董屋で買い求めディスプレイにも凝っている。その数1500対を超える。
とにかく多さに驚き感想を伝える言葉が見つからずただ「スゴイ!」を連発してしまうのである。
訪れないと味わえない感覚である。雄雛と女雛が仲良く寄り添っているほほえましい光景が広がる。
夫婦仲良くが世の原点にあることを雛たちの暖かさの中に感じます。
古民家を大切に住み継ぐご夫婦に雛の話や各地を訪れた時の思い出話などお聞きするのも楽しい。
各地で行われている雛めぐりとは違う感動が味わえます。
是非そのすごさを味わっていただきたい。

連絡先 豆雛ギャラリー  津市
    上杉昭文&寿子  TEL 059-232-5275
    お見えの際は事前に連絡をお願いします

 


2014.02.16 15:36

Do it ourself

これは2006年に家族で土塀を再生した記録です。


土塀を造ろう
 
8年前(1998年)の6月に梅雨の長雨に耐え切れず敷地の東側の土塀の一部が倒壊。
倒れた当初はすぐ直そうと思いつつ。
いつの間にか8年の歳月が。壊れた土はそのまま倒れた位置に。
草が生え四季の花も咲き乱れるように。
あの年は梅雨電線が停滞し、毎日雨、雨、ちょうど、シンガポールから息子の友人
が2人遊びに来ていて2週間家に滞在したが晴れたのは2日だけ。
関西の見学を終え東京にいくという二人を見送り、家族でお茶を飲んでいたら
「どーん」とものすごい音。
5mほどの巾で1.7m高さの土塀が倒れ、土の隗が横たわっていた。
我が家は1830年頃の大和棟の民家で170年の歴史を持つ。だから、土塀もその年齢である。
すこし傾いていたことは分かっていたが、まさかこの雨で倒れるとは、
思ってもいなかったので、衝撃は大きかった。
土と石、瓦の塊を前に雨が無情に降り続いている中皆立ち尽くすだけ。
土塀なんか造ってくれる人いるかな?  
 
「自分達でやろうか、」2006年の春
日々の忙しさに追われ土塀の事はおあづけに。
倒壊を見届けた息子達も独立し家を離れ社会人に。
庭の風景となった小山であるが時々帰ってきてここに立つと息子たちには壊れた
塀にしか見えないらしい。
「そろそろ本気で直さないと。」人に頼めばお金がかかりそう。
自分たちで出来るのかという不安も。でも土塀を造るって楽しそう。
土塀再生への雰囲気が今まで以上に強まり出す。

土塀造り開始 2006年5月1日月曜日
「連休、僕も時間あるから、塀造ろう。」と息子から電話。
「造ろう!」と返事をしてしまった。
「造るんかよ、、、」と主人。
こうして、連休の朝から工事が開始した。暖かい!初夏のような天気。
① 草刈
② 8年の間に積み重なった土を取り除き、土塀の土に戻るまで山を削る。
土塀の土は粘土質の土が良いため田んぼの土などが使われる。
③ 主家の屋根裏から藁を6束下ろす。(かなり昔の藁で、こんな時に役立ちます。)
④ 土の山の真ん中にくぼみを作り水と10㎝程に切った藁を入れる。良くこねる。
  この作業が体力を要する。切った藁を入れるのは乾燥したときにひびが入らないようにする為。
⑤ 少し置き、藁と土、水が混ざったところで土まんじゅを作り、並べて乾燥させる。
100個位並べ、少し水分が蒸発した所で、厚み12cm巾15cm長さ20m程に固め乾かす。 
今日は土まんじゅう造り。明日の為の土をこねておく。
⑥ 塀の足元の石積みが土に埋まっていたので、土を除いて石を出し、溝を造って排水を良くする。
⑦ 東側の隣家との境の溝も掃除する。
  長年のゴミも回収され気持ちよくなる。決断に乾杯と言いたくなる気分。
 
  

基礎造り  5月2日火曜日
昨日と打って変わって風の強い冬の様な天気。
足元に大きな石を並べ基礎を固める。
基礎の上にどろどろの土を載せ土まんじゅうを並べる。間は石と泥で満たす。
土まんじゅう2段を積む。作業の後土まんじゅうを作っておく。
土塀は一番下で40㎝の厚みがあるので2列に置くため沢山必要になる。

5月3日水曜日
暖かい晴天。息子の彼女が加わり4人で2段積む。間に瓦を入れて行く。
重みで土がふくらむし、間の土の水分の関係で1日2段が基準となる。
高さが出来てやりがいを実感。雨が降りそうなのでビニールシートを購入し養生。

      

5月4日木曜日
主人が一人で1段積む。他の者はお休み。
昼から親戚の山へ筍堀に。

strong>5月5日金曜日
朝から土まんじゅう作り。4人で2段積み60cmほどになる。
次の作業の為に土をこねておく。ゴールデンウイークも最後。土塀造りの毎日でした。
夜、皆でバーベキューをする。まだ,火が恋しい気温。
少しずつ高くなる塀を眺め、感動しつつ、楽しい気分に。やってよかった!

  

5月21日 日曜
連休からの雨つづきで今日は久しぶりの作業。息子と3人で午後から。
2段積む。次のための土まんじゅう作り。塀の両端を少し砕いて傾きを調整する。
既存の土塀は厚み15cm四方27㎝のブロック状の土まんじゅうを積んでいたことが判明。

     

      
既存の土塀の土まんじゅう

5月28日 日曜日 
弱い部分を崩していくと両端が広がり9m近い長さになる。
一段に土まんじゅう100個必要。東側(隣地側)の塗りを調整する。
土まんじゅうは全て使い切ったので土の準備をする。小山がかなり低くなってきた。
瓦のかけらを土に入れる。後30cmで屋根を葺ける高さに。
次回からは長さが倍増。急激に乾燥させないためにシートを掛けておく。



5月29日 月曜日
3時~4時 土まんじゅうづくり。117個

5月31日 水曜日 
5時~7時 土まんじゅうづくり 100個

6月4日日曜  晴天 2人で
良く付くように接着面を水で濡らし、どろどろの土の上に土まんじゅうを置いていく。
土まんじゅうも乾いていたのでバケツの水をくぐらせておく。
長さが倍ほどになったので大変。
真っ直ぐかどうか調整してから上に土を置き、均した上に瓦を載せ、土を置いて、
均して、土まんじゅうを置いて、土を置いて均す。2段積む。高さが1.2mになる。
廻りの土を落とし次の作業の為の土作り。藁、瓦の破片などを入れる。
土まんじゅう240個を2回に分けて作っておく。土まんじゅう造りは無心になる、
楽しくもある、子供の頃に戻るのか、体の中に組み込まれた何かが共鳴する感じ。

 

6月10日   団子作り120個夕方から

6月13日 午前中土団子120個作る

6月24日土曜日
 梅雨に入り雨の日が多かったことと、作業担当の主人が6月4日の作業後
右手がしびれ調子が悪いので作業を控えていたが息子も帰っているし、
梅雨の晴れ間なので「やらないの?」を繰り返しているとやることに。
土塀づくりは少なくとも3人は必要だと感じる。
作り置きの土団子200個使用して2段積みやっと土塀の部分は完成。1、35mとなる。
あとは屋根を付かなければならない。まだまだ、大変である。
屋根工事は専門の方にお願いするのかと思いきや主人が担当することに。
仕事柄現場ではよく見ているが実際施工となるとどうなのか?




8月1日(火曜日)
 長い梅雨で雨が降り続き、ヤット夏らしい天候になった。
各地で水害もあり雨の日本といった感じだ。
土こね場には草が生えかけている。先週の後半からセミもうるさいく鳴きだした。
それで、中断していた工事を進めることに。
今日は、測量をして図面を起こし、瓦の準備をした。
瓦は古い家にはいっぱいあるが揃ったサイズを探すのは難しい。
垂れ付き瓦40枚 普通の平瓦40枚(東側)棟の丸瓦120枚を古い瓦の中から選別。
水洗いする。長さは8.8mで南の補修の部分も含めて12mになる。

8月3日土塀の瓦を洗う4時~7時
熨斗瓦 水洗い 160枚 
屋根の下地の木材をホームセンターで購入
屋根部分の図面作成
 
 
   
 
  土塀は 壊れる時に内側に倒れるよう隣地側が傾斜している
 図面道理には行かないので現場調整を繰り返しながら進める 


猛暑の為、夏場は作業中断


9月18日火曜日
土塀南側ふくらみ部分の調整
やっと涼しくなったが今日も日中は30度を越える暑さ。残暑が厳しい。

10月1日日曜日 
 屋根部分の木下地をつくる。8mを2分し 2ピース作る。
 土塀を掘り込みセットしてみる。

      


10月9日月曜日  1時から5時
屋根の木下地を作る、割竹にワラ縄を巻きつける。
 瓦を止める銅線をつける。
 設置しレベルで高さ調整 
 壁土を載せ固定させる。

10月15日日曜日
土塀の屋根の下地づくり 3人で。

10月29日(日曜日) 晴天 1時~5時
土との接着を良くする為、土台の木部の竹にワラを巻き付ける。
瓦に穴を空け銅線で止める。
隣地側から垂の付いていない瓦を葺き始める。(垂れ付きが不足の為)
こねた土を置き、勾配、出を確認しながら丁寧に作業を進める。



 
10月31日 火曜日  晴天 
内側の瓦を積む。内側は垂付きの瓦。


11月3日 金曜日  
熨斗かわらと丸瓦を積む。  東側の調整

11月5日 日曜日  
既存の南側の土塀の瓦を直し同じ高さに調整する。
ほぼ完成 ! 後片付け


 
5月から開始しやっと完成。庭がビシット引き締まりました。
軒裏を塗りこまなければならないがこれは次に廻すことに。
今まであったような顔をしているが大変でした。
土塀の持つ味は人の手と、素材の温かみが加わつてこそ出るもので、
どっしりとした風格は年月で一層深まるだろう。
私たちは最後に造った年月日と全員の名前を板に記し屋根の部分に納めました。
何年か先に壊れた時に誰かが発見して私たちの事を知ることになると思うと、
わくわくして来ます。あと100年後に?

家の周辺を囲う土塀はさまざまな姿をしています。今にも倒れそうなのも、、、。
この土塀も加わりこれからもこの家の住人の日常を見守りつづけることだろう。

                   
敷地南西側 (玄関側) 

    
敷地西側の内                            外  
 
         北側外  土塀と柿の木は大和の風景

     
 門屋の土塀                        北側の内から


      
     壊れた土塀の健在な頃の写真が見つかりました。
    子供達の入園式や入学式の日の写真もこの場所で撮られていました。        
   
    また、土塀の前は花壇にしていろんな花を咲かせようと思います。

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